1937年12月米国人宣教師Ernest Forster撮影。民間人のようにみえても,ゲリラ兵,敗残兵,逃亡兵がいるかもしれない。捕虜として兵士はもちろん,体つき・顔つきから敵性住民を選別して,拘束した。これは,治安対策の一環である。拘束後,1万名以上の捕虜を管理できなくなった日本軍の現地部隊は,捕虜を処置するほか選択の余地がなくなってしまう。Persons executed by Japanese soldiers in Ku Ling Temple. Photo taken by an American missionary, Ernest Forster.
日本では南京事件が残虐行為としてよく話題になるが、その直前の上海事変でも、陸戦だけでなく、海上の艦艇からの砲撃を加え,大型機,小型機の空爆を市街地に(中国軍の陣地があるため)行っている。そこでは、建物が破壊され,駅で多数の人々が死傷した。各地で多数の死傷者が外国人にも目撃され、メディアを通じて列国に知らされた。殺害の方法は,銃殺,刺殺,斬首,砲撃,爆撃などさまざまであるが,無抵抗な人々(捕虜,武装解除された兵士,民間人)を処刑するのは,現在から見れば残虐行為である。
日本軍は,上海の外国租界には直接介入はせずに、中国地区占領を図り,11月9日、接収をほぼ完了する。 しかし,都市・農村を占領しても,そこに住む中国人が日本に従順に従うようになるわけではない。反日感情,抗日(地下)運動,破壊工作が存在していれば,日本軍は以前にもまして,占領地の治安維持のために,機微シィい処置をとるであろう。また,ゲリラ,便衣兵の探索のために,兵力を追加配備しなくてはならない。土地を占領し続けるのも難しいが,人の精神,行動を支配するのはより困難である。作者: 吴翔 时间: 2009-7-8 07:25