标题:
请教日占青岛邮戳使用的起止时间
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作者:
山东人
时间:
2010-6-5 22:54
标题:
请教日占青岛邮戳使用的起止时间
请各位高手指教所示日占青岛邮戳使用的起止时间,衷心感谢!
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2010-6-5 22:53
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作者:
米格海王
时间:
2010-6-5 23:17
大致的时间应该是从大正3年(1914)年9月到大正11年(1922)12月
当然,从野战局到地名戳,其中各种邮戳使用时间各有不同。
作者:
麦国培
时间:
2010-6-5 23:31
好好学习中
作者:
imliu
时间:
2010-6-7 16:31
我手里有资料,不过是日文的。
________________________________________
11月10日~30日独立第十八師団第五~十六野戦郵便局順次開設
12月中に師団野戦郵便部は青島守備軍逓信部に業務引継
17) 青島守備軍逓信部第一野戦郵便局
独立第十八師団郵便部の野戦郵便局は、第一野戦局(龍口、大正3年9月3日開局)より第十六野戦局まで順次開設されたことは既に述べたが、同年12月1日より同師団郵便部から青島守備軍逓信部へ業務の引継ぎが始まっている。師団郵便部時代には軍事郵便のみの取り扱いだったが、守備軍逓信部では順次一般の郵便物も取扱う事となった。引継ぎは12月中頃には完了し、部隊の移動に伴い所在地を移動する事の多かった師団郵便部野戦局の整理を行ない、守備軍野戦局として11の野戦局にまとめられた。使用した郵便印は師団郵便部時代と同じ物だったので、郵便物の日付、差出地の書込、文面等を総合して判断しないと、実際の野戦局所在地を(特に12月中頃の日付)混同しやすい。守備軍逓信部では、第一(青島)、第二(下王埠庄・李村)、第三(膠州)、第四(高密)、第五(沙子口)、第六(維県、「実際は三水に維」)、第七(張店)、第八(黌山、「溜川炭鉱」)、第九(済南)、第十(莱州)、第十一(龍口)の11局で業務が始まっている。(その後、大正4年4月1日より野戦局名が局番号から所在地名に変更された。)
作者:
imliu
时间:
2010-6-7 16:32
青島佐賀町の青島野戦郵便局は、前述のとおり、短い期間に師団郵便部“第三野戦郵便局”から守備軍逓信部“第一野戦郵便局”そして“青島野戦郵便局”へと名称を変更している。第一野戦郵便局時代の同局では、大正3年12月28日より他局に先立ち切手類(支那加刷)の売捌も開始されている。また、青島市内の郵便局で、大正4年中に追加開局となった野戦郵便局としては、青島大鮑島(4年6月)、青島大港(4年11月)が記録されている。
作者:
imliu
时间:
2010-6-7 16:34
特に問題となったのは“郵便為替業務”であった。新しい日支郵便為替約定の施行は翌大正12年1月1日であるので、山東では12月10日より3週間の空白が生じる事になってしまう。これを避ける為、引継いだ中国青島郵便局本局(所澤町)内に、在来の通り日本郵便吏員(残務整理官)による臨時日本局窓口が置かれ、12月31日迄、青島日本間の為替業務を引続き行う事が協定された。(貯第306号、欧受第684号)(これは、日本の支那加刷郵便切手上に、青島局の櫛型印・11年12月11日より31日迄の為替印が存在する可能性を意味する。)
その他、電信、電話、発電所等の業務に対しては、準備不足を理由とした中国側の懇請により、四方、滄口、李村、坊子、張店、溜川炭鑛、博山、済南、の各局における電信電話、及び青島無線電信局、青島発電所の業務を、大正11年12月20日迄、日本側が継続して行う事になった。青島本局(所澤町)に関しては、年内中は電信事務を継続したと考えられる。(これは、日本の支那加刷郵便切手上に、11年12月11日より20日迄これらの局の櫛型電信印が存在する可能性を意味する。青島本局は12月31日迄。)また、青島佐世保間海底電信線については、北京細目協定付属了解事項として新たな日中の運用協定成立まで、中国青島郵便局内の臨時日本局で管理される事になった。
日本側逓信部公有財産物品材料等は12月26日迄に受渡しを完了し、その他の事業用材料、備品等は引継委員長の査定により代価支払を行い、翌1月10日迄に実質上の逓信部中国側引継は完了した。
作者:
麦国培
时间:
2010-6-7 16:42
好好的学
作者:
山东人
时间:
2010-6-7 20:13
谢谢刘海涛邮友赐教!
作者:
陆小凤
时间:
2010-6-7 20:23
好资料,学习了
作者:
imliu
时间:
2010-6-8 13:28
谁懂日语给翻译一下啊,不然只能看个大概。
作者:
米格海王
时间:
2010-6-8 14:55
本帖最后由 米格海王 于 2010-6-8 21:48 编辑
先翻译第一段。水平一般,大家凑合着看吧。
11月10日到30日独立第18师团第5到16野战邮局顺次设立
在12月师团邮政业务开始从野战邮政部向青岛守备军递信部移交
17)青岛守备军递信部第一野战局邮政局
前面已经讲过独立第18师团邮政部的野战邮局,是从第一野战局(龙口,大正3年(1914年)9月3日设立)的到第16野战局
顺次设立的。同年12月1日从18师团邮政部开始向青岛守备军递信部移交邮政业务。师团邮政部时代只办理军事邮政业务,
守备军递信部开办业务之后,渐渐开始受理一般的邮政业务。(从师团邮政部到守备军递信部移交的)整个转化的过程到12月中旬
完成。此时,对过去作为野战军邮政部常常随部队移动的师团野战局(业务)进行了整理,最终守备军野战局
整合成11个野战局。因为使用的邮戳是师团邮政部是使用的同一个邮戳,所以邮政品如果不用的日期,寄出地以及书写的内容等等
综合判断的话,很容易混淆实际野战局的所在地。(特别是12月中旬的日期)
守备军递信部下设第一(青岛),第二(下王埠庄・李村 ),第三(胶州),第四(高密),第五(沙子口),第六(维县,实际应该是三点水的潍)
第七(张店),第八(黌山,溜川煤矿),第九(济南),第十(莱州),第十一(龙口),开始办理邮政业务。(此后的大正4年4月1日邮局名称由野战局编号变成地名)
作者:
麦国培
时间:
2010-6-8 15:07
好啊!
学习中
作者:
imliu
时间:
2010-6-8 20:14
多谢赵友翻译
作者:
米格海王
时间:
2010-6-10 22:57
青岛佐贺町的青岛野战邮政局,如前面所述,在很短的时间内,名称从师团邮政部的
“第三野战邮政局”到守备军递信部的“第一野战邮政局”再到“青岛野战邮政局”。
第一野战邮政局时代,也就是从大正3年(1914年)12月28日开始,这个邮政局(佐贺町)比
早于其他邮局开始出售邮票(中国加盖)。另外,青岛市内陆续设立的野战邮政局,
有据可查的还有青岛大鲍岛(大正4年6月),青岛大港(大正4年11月)
作者:
米格海王
时间:
2010-6-10 23:17
特别要提的是,当时的邮政汇兑业务存在有问题。因为新的中日邮政兑换协定要到
下一年的大正12年1月1日才实行,在山东,从12月10日开始就存在了大概三周的空白期。
为了避免这种问题,(从野战局)继续邮政业务的中国青岛邮政局总局(所泽町),
依据过去的惯例临时设立了有日本邮政官员(遗留业务处理管)负责的窗口。
到12月31日为止,解决了青岛和日本间的邮政汇兑业务。(储第306号,欧受第684号)。
(据此,也就是说,意味着在日本的中国加盖邮票上,有存在从大正11年12月11日
到12月31日的青岛兑换业务的櫛型邮戳的可能性)。
其他,在电信,电话,发电所等业务上,因为中国方面以准备不足为理由恳请(日本方面),
所以在四方,沧口,李村,坊子,张店,溜川煤矿,博山,济南等各的电信电话,
以及青岛无线电信局,青岛放电所等业务,到大正11年12月20,一直是日本方面在继续从事
业务。关于青岛总局(所泽町),可能一直到年底都在继续电信业务。
(也就是说,有在中国加印邮票上,这些继续业务的邮局内的各个邮局的櫛型电信邮戳
的可能性,(其他邮局到12月11日)青岛总局是到12月31日为止)。另外,青岛到佐世保之间的
海底电信线(电缆?当时有么?)基于在北京细则附属事项中规定,到新的中日运用协定
订立之前,由中国青岛邮局内的临时日本邮局管理。
日本方面,递信部公有财产物品等材料,在12月26日前移交完毕,其他的业务用资料,备件等
按照移交委员会核定价格,(由中方支付费用)。到第二年的1月10日实际上完成了
向中方的移交。
作者:
米格海王
时间:
2010-6-10 23:17
全部都翻译完了。
有不对的地方大家可别怨我哈。
作者:
山东人
时间:
2010-6-11 23:57
谢谢赵邮友的翻译!谢谢!
作者:
spaceship
时间:
2013-6-7 16:04
好资料,学习中
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